inquirenda inquiremus

尋ねるべきを尋ねましょう

許せないものシリーズ①

最寄りのb銀行支店窓口にて,xxx円をyyyy年m月d日までに以下の口座宛にお振込みください.

みなさんは上のような形式の文句を見たことはありますか.わたくしはあります.正確なところはともかく,おおよそは上のようなものです.

わたくしはこれの意味するところが理解できず,当時この文句に責のあるところに問い合わせました.

「最寄りとはなんですか?何に対する最寄りですか?」

「そこからの最寄りはどのように定めますか?」

「何であれ,最寄りで振り込まないといけませんか?」

もちろん,自宅の最寄りであるに間違いないし,アバウトに自宅の近隣くらいの意味しかないし,けっきょくそこじゃなくてもb銀行支店窓口なら問題ない.そんなのはわかりきっています.通販の振り込みならてきとうにスルーしたでしょう.

しかし,当時,この振り込みによって,わたくしの人生の進路が変わるので,わざわざ尋ねざるをえませんでした.挙げた質問のなかでは,最後のがいちばん肝心です.

上の文句は,まず,振り込みを命じるもの,命じる,が強ければ,要求するものです.その際,振り込みの諸々の形式を定めています.

(1)振り込む場は,少なくとも,b銀行の支店窓口でなければならない

(2)振り込む金額はxxx円でなければならない

(3)振り込む期日をyyyy年m月d日とする

(4)振り込む先の口座は所記のとおりでなければならない

このとおり,振り込みにあたって,どのような条件を備えていないといけないかを述べている,と解釈するのが自然です.さて,ここで,「最寄りの」という限定は,どういうはたらきをしますか? ふつうに文を読めるなら,これだけが異なる働きをする,というようにはとらないでしょう.この限定は「b銀行支店窓口」についているのだから,すると,とうぜん,(1)がほんらいより強く,

(1*)振り込む場は,最寄りのb銀行の支店窓口でなければならない

によって置き換えられるはずです.

しかし,(1*)なんてことはないのですね.当たり前です.尋ねた結果も同じでした. b銀行支店窓口なら,基本,どこでもいいわけです.

じゃあ「最寄りの」は,何の用もなさない無駄な限定なのか.思うに「b銀行支店窓口」に「最寄りの」をつけるひとはほかならぬ親切心によってそうしているのでしょう.この文句を当時発したところにその意図がどれほど意識的にあったかはともかく,このような文句の原型を考えたひとにはその意図があるはずで,そこもそういう意図を自覚的にせよ無自覚にせよ継承はしているといってよいと思われる.

こういうのをふつうは余計なお世話というと思います.どこでもいいんだから.しかし,それはともかく,です.こういう,基本的には「こうしろ」の命令や指示の体系である文句を発しておきながら,そのなかに内実,命令でも指示でもない,たんなる親切なアドバイスにすぎないものを紛れ込ませる,というのは,もう,暴挙としかいえないと思います.やらなくてもいいことをやらないといけないことのあいだに紛れ込ませているし,受け手としては,形の上で,それは実はやらなくてもいいんだね,というのはわからないわけですから.

当時のわたくしの憤激とそれによる心労とが報われてほしい.世の中からこのような悪しき表現がひとつでも減るように,このように率直なところを記録しておくことにしました.人々がいつの機会にかこれを読み,そのとき嘲笑ったとしても,また別のいつかにおのれの心の不純なところを悔い改め,蛮行を以後あらたに重ねることのない正しいひととなりますように.